現在主流の考え方は細菌を消滅することが、重要だという考え方が主流を占めていると思う。私の考え方は違う。細菌は恐ろしくないという考え方である。それでは体を蝕む恐ろしいものはないのか? と仮に問われたらあると返答しよう。 体を蝕む恐ろしい物の正体は体内毒素「老廃物」である。 そういわれてもピンとこない。一番分かりやすいと予想できるものかが、痰である。
追加事項・・・コロナも細菌であるから、怖くないということになる。追加して説明すれば、コロナに反応する特定の体内毒素「老廃物」が怖いということになる。もっと踏み込んで言えば、コロナの好む体内毒素を溜め込み過ぎると、反応が出過ぎて危険だか、少量か中量か未経験なのでよく分からないが、本人が耐えられる程度の苦痛であれば、苦痛の程度と比例して毒素は抜けていくのだから、これもまたよいことである。日頃から自分でできる健康診断を把握して自分に堆積している体内毒素の量をしっていることが凄く大切ということになる。この方法は難しくないことも付け加えておく。
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またそれですか?と感じた人がいたとすれば私のホームページをけっこう丁寧に見られている人だと思う。痰は汚い。見るからに汚物である。出た方がよいに決まっているがどっこい、そうはいかない。咳の後に痰がでると言うことは、咳は痰を出すためのポンプ作用ということになる。発熱が最初に発生して、溶解した体内毒素が咳というポンブ作用で痰となり排出され目に見ることができる。
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ということは発熱も咳も痰の排出も病気自然治癒というか、体の強化には大変頼もしい仲間みたいなものである。 しかし現実は異なる。発熱は止めないと。咳が出ている。身体に異変が起きて大変な事になっている。なるかもしれない。止めないといけない。汚物の痰の排出も停止して、体内に痰という汚物を戻さないと。それには発熱を止めないといけない。発熱が止まると苦痛も収まる。発熱を抑えて苦痛を緩和するのが正しいのか? それとも発熱を止めず体内毒素の発熱による溶解を促進させて痰等を出したほうがよいのか
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該当記事で発熱の事を役に立つのに凶悪犯にされた、かつてのテレビドラマの主人公である、リチャード・キンブルに例えた事があります。キンブルは真相は凶悪犯ではなく善良な国民の一人であったわけです。
ということは発熱を発生させるきっかけとなる細菌「ばい菌」も善良なキンブル「当時は凶悪犯にされている」と手を組む善良なキンブルの仲間ということになります。ばい菌という自分に反応させて、体内毒素という悪人を退治してやっつけてくれるのですかから、退治した悪玉も目にすることができます。それが痰ということです。
悪玉はけっこう変装します。ある時は痰に。ある時は膿み「膿」に。この二つが分かりやすいかな? 痰も膿み「膿」も悪玉が正体を現した、悪玉の屍なのです。最初に悪玉を退治してくれたのはリチャード・キンブルという凶悪犯にさせられてしまった発熱ということです。細菌「ばい菌」なんて二次的な問題です。ということはコロナなんて平気ということになります。
しかし問題があります。コロナが平気なのは浄血者ということです。濁血者はコロナの標的になるのでコロナは恐ろしいです。さらに説明するとコロナの好まない濁血者はコロナの標的にはならないということです。 俺はお前が好みじゃない。嫌いだ。と言ってコロナは相手にしてくれないということです。
詐欺師・色魔・強盗と人間社会の悪党にも得意な分野というか、好みがあります。 細菌「ばい菌」も好みの体内毒素があるということです。体内毒素には毒素を作成した素材というものがあります。細菌により好みの毒素というか、素材が異なるということです。人間と一緒です。同性の友情でも、男女関係でも好みというものがあるでしょう。
コロナはアルコールで汚染された血液は好みじゃない。こういうことです。素材の名前は隠す方針を取っているので言えませんけど。何種類かあります。 私が今日まで断食で排出した毒素の種類だけでも今、数えたら6種類ありました。中には凄く大量に出た毒素もあります。8年前に出た毒素なんて、素材の名称はふせますが、同色の濃い毒素が口と肛門と1分位の時間差で両方ともかなりの量がでました。
人体とは不思議というか、深遠なもので、同じ種類の毒素なら出口を一つにすればよいのではないかと思いますが、その排出量が多すぎたために、同じ毒素でも出口を二つにしたという、信じられないようなことがおきるのです。 まあ頭のカチカチに固い常識に凝り固まっている人には理解は出来ないというか、最初から理解はしようとしないでしょうけど。そのほうが賢いというか、ズルいというか、世渡りには便利でしょうけど。
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最期にまとめましょうか。発熱も化膿もしないとは実は私のことです。極正確に言うと、微熱は起きるが高熱の発生はない。 極薄いという、そういう化膿はあるが、深刻な化膿は発生しないということです。
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それだけではありません。咳はたまに出ても重度の咳は出ません。これは言い方を変えるとこういうことです。 咳 = 痰を出すために発生するポンプ作用 = ということは痰が溜まっていなければ咳は出ない = 痰は体内毒素「汚物」である = 私は体内毒素の素材。ここでは痰の素材ということになるが、その素材を一切摂取しない。24歳から42年間体に入れていない。 = そのため痰の素材が体にないといいうか、作成されないために、当然痰の排出のポンプ作用も起きない。
なんだかまどろこしい説明になりましたが、痰の排出と咳の重度のものが発生しない理由を言いました。まだあります。
この紫文字は一つ前のブログ記事の「もう一度コロナでいきましょうか?」の最後に・・最後に答えは残念ながらここでは言えない。・・で始まるところがあります。その中からここに引用したものです。
たまたま少し上と引用例が同じだったため、24歳から42年間体に入れていない。 というところは同じになりました。
発熱も化膿も発生しない原因の答えが出たようです。というよりもう分かりますね。 発熱の目的は体内毒素の溶解~の移動~排出です。私の断食体験だけでも毒素の排出は6種類あったわけです。 しかしこの6種類は上の24歳から42年間体に入れていない。・・とは異なるのです。 断食で出た6種類意外にも最凶の毒素の元はあるのだが、私はたまたま体にいれていなかった。
この表現は少しおかしかったかな。訂正しておきましょう。真相は私がすでに、42年前の24歳の時に幸運にも最凶の毒素の素材を知ったために。嫌。例の阿東町の石風呂のお爺さんにその素材を教えて頂いたために、体に入れる事はなくなったということです。もちろんこれからもないでしょう。
その結果。今まで高熱も強度の痰をだすためのポンプ作用である咳も発生しなかった。 これからも高熱も強度の咳も起きる事はないでしょう。発生する原因の元がないのでは高熱も咳も起きるわけはありません。 難しく考えない事です。
発熱しない。 強度の咳もないため多量の痰の排出もない。 と出しましたが、うっかり抜けてました。ここのタイトルは
でした。発熱も大してない。痰の排出も少量だ。 化膿が抜けてました。 私はその道の専門家ではないので、痰の成分は何か。あるいは化膿する。ようするに膿みですね。 痰と膿みの違いなんてよく分かりません。というよりそれほどの関心もありません。
両方とも汚物であることは間違いありません。ということは共に毒素であり、体を傷めるということです。悪事で例えれば強盗か詐欺か?と言う事でしょう。共に体を傷める元凶ということです。
胆摘に言うと私は、高熱の発生はない。 痰の素材も取らないので、痰の排出も大してないし、痰の排出のためのポンブ作用である、咳も軽いものしか起きない。ということです。痰という毒素の素材の元を取らないのが咳が発生しない理由でした。
もう一点忘れてました。じつは化膿もしないのです。嫌間違った。厳密に言うと、軽度の化膿は発生することもあります。 しかし強度の化膿は発生しないということです。 これももう説明する必要もないでしょう。化膿の膿みは毒素ですから、私みたいに毒素の素材を知っているものが、その素材を取るわけはありません。
膿みの素材の摂取が一般の人に比較して極めて少量なため、私は化膿はしないということです。化膿しても極めて軽傷ということです。 常々私は自分の事をこう言っています。というか紹介しています。・・・私は自信家ではありませんが、体の不調というか、病気に対しての知識は自信過剰なのです。・・・
自信過剰の人間はけっこう存在します。私は大嫌いです。特に若い人の自信過剰。嫌いというより、気分が悪くなります。 そう言いながら本人が自信過剰なのだから、話になりません。 最も体の不調の知識に限定してのことですけど。
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